2015/01/28

あのすばらしい愛をもう一度

日本人は
社会とか政治というものへの
コミットをしないものである。

60年代、70年代に
若者が手を取り合って
(リアルでどうだったかは疑問ですが)
嫌なものは嫌だと拒否をする意思表示は、
「刺激的なサブカルチャー」を
「ニューミュージック」という名で
スポイルすることにより解体された。
それは2度の大きな震災があっても
変わらない。
現在進行形で起きている
原子力発電の事件があっても、
我々の興味は
「時間をどうやり過ごすか」という
個人の大事件を優先するよう、
ありとあらゆるツールを与えられている。

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村上春樹さんは
超個人主義な方だと
『アンダーグランド』が
発表されるまではそーいう認識でいた。
上手に解説することが出来ないけれど、
村上春樹さん自身が
述べられている通り、
『アンダーグランド』以降、
「我々はもう一度理想主義を掲げなければならない」
というテーマとともに
社会へのコミットを提唱されている。
それはきっと21世紀に入って
年数が増すごとに
その意思は
強くなっていらっしゃると感じる。
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あるジャーナリストが
発言されていた。
「社会正義をバックにした革命は終わった。
今、世界中で起きている
革命と呼ばれるものは
『面白いか面白くないか』という
ジャッジで発生している」
イスラム国という革命(?)にしても
善悪の分別はともかく、
人々を糾合する軸は
『面白い』という「感覚」なのだという。

暇を潰すツールや
ニュースに溺れている世界で
僕は怒りが消失する。

どのような理想を掲げて
世界へコミットするべきなのか、
否、コミットしたいのか、
まだ私にはわからない。

https://www.facebook.com/IAmKenjiGoto


山田太一脚本『想い出づくり』


34年ぶりに
このドラマを観た。
女性3人の
やりとりとか、
女性2人の
やりとりというストーリーって
何故か好きです。
岡崎京子さんの作品でも
よくそーいうテーマがありましたよね。

このドラマ、エンディングは
3人とも落ち着くところに
落ち着くわけなんですけど、
「嫌なものは嫌だ」という
ある意味、人の信念というものを通して、
「拒否」するべきことを
拒否する日常のなかで、
人は最良な方向へ
進んでいくのかもしれない。

 http://www.amazon.co.jp/dp/B0000DJ29F

JOE MEEKを知らなかった



『Telstar』をわたしは
ルースターズのカバーで
知ってましたが、
オリジナルのJoe Meekを
まったく知らずにおりました。。


Joe Meek With The Tornados - Telstar (1st stage demo)




2015/01/20

電子画面の向こう側で


電子画面の向こう側には、
「私に似た別の自分」が存在する。

いい大人なんだからTPOをわきまえて
ネット上で振る舞うなど
特に気にすることでもない。

とそう思っていた。
昨日まで。

今日、
ネット上で知り合いになった
若者に叱られた。
理由をここで書くつもりもない。

私が失敗したのだ。

電子画面の向こう側なんて
所詮、架空の世界であり
泡沫な人間関係(?)なんだから
気にする必要もなければ
反省するなんて笑いごとだと、
そう割り切ることは
私には出来なかった。

それはまるで、
好きでもない恋人と
同棲するうちに
本気で好きになって
しまうことと似ている。

画面の向こう側の人々に
情が入ってしまったのだ。

SNS系のツールを
知れば知るほど、
「日本人って匿名な
繋がりが大好きだなぁ」
「どんだけ人と
つながっていたいねんっ!」
と思っていた。

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新春スタートの
連ドラのなかで
一番気になって観てるのは
NHK・BSプレミアムの
人との出会いにより
ろくでもない日常が
変わっていく主婦の物語だ。
私と同じ
46歳設定ということもあり
気になる。

このドラマはまだ始まったばかり
なのでストーリーを説明することは
出来ないけれど、
2回の放送を観て教訓を得た。

その教訓を得ることが
出来たのも先述の、
ネット上で知り合った
若者に叱られたことによる。
SNSの中毒に堕する人と同じく
わたしは「所詮暇つぶし」の
感覚があった。
若者に叱られたことで
わたしは
「なんていい加減で
見苦しい
浮遊したような生活を
送っているのだ」と
気付いた。

きっとわたしを叱ってくれた若者は
わたしよりも真剣に
SNSと向き合っていたのだと思う。


ひたむきで真剣に生活していなければ、
自分を大きく変えるような出会いは生まれない。

もう一度
真剣な日常を送ってみようかと
密かに決意しました。


ドラマ「だから荒野」主演の
鈴木京香様

わたしは同じ歳です。。

2015/01/12

3コードという縛りのなかで手に入れる自由

関西圏では
フジテレビの番組
『ノンフィクション』は
放送されておらず、
わたしは自宅に戻ったら
必ず録画された当番組を観る。
大好きなんですよ
ノンフィクションが。
観ている時、
思わず泣く時もあります。
今日、またまた
泣いてしまいました。



これはノンフィクションのなかでも
シリーズ化(?)されてる内容のもので
私が思わず泣いてしまったのは
今回の放送内で3番目に紹介されたさきさん
(すみません名前の漢字は失念してしまいまして)
という青森県八戸市から
上京して看護師として働きだし、
「看護師ってこんなはずじゃなかった・・」と
悩み・迷い、もう辞めようかな・・なんて
考えてた時に
入院してきた
新しい患者さんの一言。
有名なラーメン店を
やられている老人のこの患者さん。

(ラーメン屋をやりたくて
始めたわけじゃないんだけど)
「無我夢中でやってて
辞めることが出来なかったんだよね」

この一言によって
さきさんに変化が起きる。
そして退院の日に
老人が渡す手紙。。
「あなたは病院の花です」
そして
さきさんは看護師を
続ける決意をする。


なんて
素敵な出来事だろう。


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3~4年前に放送されてたドラマ
『ありふれた奇跡』のなかで紹介されてた
アイリッシュダンスについて。
上半身を縛られてるから
下半身の足だけで踊るしかなかった云々・・
確かそーいう話だったと思う。

わたしは
ロックンロールという言葉が好きで
魂が肉体を超えるときを
ロックンロールと定義してまして。。
もしくは
ろくでもない日常を超える時とも。。
楽曲としてのロックンロールの
定番である3コードという縛り。

がんじがらめであり、
孤独であり、
足を止めてしまいたくなる日常のなかで

ステップを踏み続ける

成人式を迎えられた若者のみなさん。
おめでとうございます。


2015/01/04

大陸にて


わたくしは正月の元旦から
中国・上海から車で90分程度の土地
「平湖」にきている。
仕事の出張で、
元旦から行かなければ
クローズ出来ない案件の為だ。
昨日は朝7時から夜8時まで仕事、
今夜もつい今しがた
宿泊先のホテルに戻ってこれた。
明日は朝の7時に取引先に入り、
夜8時過ぎまで仕事、
そんなこんななスケジュールで
6日の夜のフライトで日本へ帰る。
仕事の愚痴をここで記しても何も生まれない。
中国という国を語れるほどの
知識も見識もない。
でも毎回出張で来るたびに
感じることがある。

それは大陸の空気。
大気汚染のことではなく、
ああ、ここは大陸なんだよなぁと
という、風というか
匂いというか。

もしも自分が将来、
失踪者になることがあるなら
大陸で消えてしまいたい。
言語も生活も何もかもが判らないような
砂漠のような土地で
じっと星空を眺めながら
消えていきたい。


2015/01/03

GET THE GEAR


新年
あけまして
おめでとうございます。
不定期な投稿で且つ
存在も内容も薄いブログですが
今後とも宜しくお願い申し上げます♪

年末年始を利用して
ツイキャスというものを始めてみた。
ニコ生に昨年手を出してから
チラッとツイキャスの
存在を意識してました。
当初の感想は
「チョイ不良(ヤンキー・キャバ嬢ともいう)
&中学生&高校生ばっかりやんっ」
というおじさんらしい印象でした。
流行ってるのね~的な・・・

音楽にとっての記憶媒体の終焉が
目前に迫ってる時代にあって、
音楽なのかよくわからないAKBなどなどの
存在に対するわたしの感性は

NOを突き付ける

そこに理由などないのです。
直観的にNOを突き付けるのだ。
例え女・子供に嫌いになられ、なじられ、
田原総一朗が論理的に讃嘆してても。

その感性はツイキャスに対しても同じだ。
NOなのだ。
NOなのですよ。
(すみません、念の為の解説ですが
「NO」とは否定するという意味で使っております・・)

ニコ生は、ツールとしての過渡期かと思う。
500円/月で暇つぶし雑談が目的では
悲しすぎる。
今でも既に個人が発信するツールとして
有意義な用い方もされているし、
そういう活用をしたいと
生主初心者のわたしも
考えるところである。

しかし、
ツイキャスは直観的にNOだ。
最初からダメ出しをする。
否、しなければならない。

少年と少女を
ロボトミーにする惨状に
言葉がない。

中学生がスマホで
ネット中毒になるところまでは
自己責任でいい。
大勢の流れに逆らうように
スマホを持たない生活なんて
わたしも出来ない。
また、賢い子供は
そこから新しい価値を
生み出すだろう。

ツイキャスはお金は取らない。
でも時間を奪う。
大切な大切な時間を奪うのである。

そんなに言うほどみんなやってないんじゃね?

この感性こそが一番最悪なのだ。
その感性こそが原子力発電の偽善を許し、
戦争体制一歩手前の権力者を助けるのだ。
惨状が具体化され、
我に被害が及んで
怒りだすエゴイスト。
なぜみえないのか。
搾取されていることが。

賢く生きることを躾られた子供は
時間を無駄にしない。
親に捨てられ、
過酷な現実を生き延びようとする子供は
無駄な時間を削ぐ。

変わらない日常を変革するギア。
それは拒否だ。


今回はすみません、
吉田松陰の真似事のような
気持ちになってしまって。